アイルトン・セナの人生を見た。

今日は少しフラフラするので、家で安静にしていようと思い、YouTubeを検索しているとF1の映像があり、アイルトン・セナの人生を追った話があったので見入ってしまいました。F1を好きになったきっかけはやはり少年ジャンプの漫画「サーキットの狼」から始まり、小学生の時に初めて乗った遊園地のゴーカートを知っていらい、実際に走る事やレースに興味を持ちその時から「Autospots」等のレース雑誌を見ていました。日本にF1ブームが到来する前で、フェラーリ312T2やブラバムRT46なんかがカッコいいと思っていました。ドライバーではニキ・ラウダかなぁ。セナはカート時代から有名で、F1にデビューした頃からロータス時代も描かれていました。雨の中で速かったのも有名でした。マクラーレンに移籍してからの活躍はF1ブームもあり有名だと思います。セナ・プロスト・マンセルが争った時代は色々なドラマがありました。YouTubeを見ていて、何となく自分も若い時に戻った様な気になります。

1988年、セナが初めてシリーズチャンピオンになった年の日本GP(鈴鹿)では、3泊4日の車中泊での観戦でしたが、少しも苦にならなかったなぁ。

家をベースに出来る仕事。

今後の生活を考える上で、家をベースに出来る事を考えて見ようかと思う。田んぼや畑はない(あるのは家庭菜園レベルの畑)から農産物を売るとかは難しい。就職もこの1年ハローワークを中心に探して来たが、これはと言うものがなかなか無い。更に家から近い職場となると収入を落とす必要が出て来る。年金受給まであと7年半、月にして 89ヵ月。月20万必要として89ヵ月で1,780 万円。ざっくり65歳まで2000万必要で、65歳から2000万必要(2000万円問題より)なら、4000万円必要と言う事なんだろう。何かそんな計算していると自分の人生も終盤なんだと思う。まして軽く済んだとは言え、命にかかわる病気を発病するとこの先10年生き続ける保証なんて誰にもないと実感します。

「基本、隠居で小遣い稼ぎ」でも小遣い稼ぎの部分が、家をベースに出来る事に限定されるとハードルが、かなり高くなりそうな気がします。

今後の仕事と生活。

ちょっとやってみたかった「廃棄物倉庫のおじさん」の可能性は無くなってしまいました。時給は安いながら、候補に取っておいた配送の仕事も今の状況では様子見(運転は止めれれていませんが、しばらく様子をみる為)です。万が一、「ポカ」をやっても良い仕事なんてあるわけありません。せめて年内は社会復帰に向けてリハビリ(確認期間)に専念しようかと思っています。運動機能は問題無い範囲で機能しそうなので、思考力と記憶力の確認が必要かと思いますので、また何らかの資格試験の勉強を始めようかと思います。記憶と思考の両方が必要な試験を見つけて始めてみよう。別に試験合格が目標ではなく覚える事と考えて答えを導く事が出来るかの確認の為に。まずは「頭の体操」の様な本から始める方が良いかなぁ。

「夢を叶える為に脳はある。」らしい。

脳梗塞の後遺症を探る。

退院後、色々な事にチャレンジし何が出来て何が苦手かを確認する生活が続いています。幸い身体で動かない所も退院後、動かなくなった所もなく痺れも出ていないので生活に対して困っているところはありません。物忘れに関しても若い時程ではないと思いますが、昨日の晩御飯のメニューは思い出す事は出来ます。このあたりは歳による若干のボケもあると思うので歳から来るものなのか病なのか微妙なところです。まあ敢えて言えば風邪をひいている時の様に何となく頭がボーッとする感じは時々あります。今は若干、風邪気味ではありますが。朝は爽快な場合が多いので、薬の副作用かも知れません。そうだとしても止める訳にはいかないので、慣れるしかありません。今日は退院時から付けている血圧手帳の日付が12/14~12/19まで10/14~10/19になっていて「何だこれ!」と言う感じです。書き込んだ時は気付かなかったと言う事になります。なんか変な思い込みが入るのかなぁ?。これに関しては注意が必要です。

歳なのか病なのかは別にして、しばらくはあらゆる事を確認する癖を付けておく必要がありそうです。

病気と付き合いながら生きる。

色々あった12月前半でしたが、無事(多分?)生還する事が出来ました。もしかするとあのままお星さまになってしまったかもしれない様な病気です。何の後遺症もなく戻れたのはまだこの世でやり残した事があるからかも知れません。基本75歳までは生き抜くつもりなので、この先収入を得る仕事を見つけると共に、再発しない様に健康に気をつけなければなりません。最近、血圧が高くなったのは自覚がありましたが体重が増えた事が主な原因だと思います。完全に生活習慣から来る病です。体重のコントロールをしなければなりません。適度な運動も。丁度ゴルフをもう一度真剣に取り組もうと思っていたので、技術面ばかりではなく、体力面から強化したいと思います。大動脈解離から生還した知人もいますが、やりたい放題ではもう危険な年代と言う事です。そして生還出来た事には意味があるはず。

これからの残された人生で、それを見つけたいと思います。

続・脳梗塞で入院すると。

前回からの続きで入院中の経緯です。検査と同時にリハビリも始まります。言語、思考力、身体能力とそれぞれのリハビリが用意されています。思考力と身体能力に関しては動かないところはどこも無いので、発病の影響はほとんど無いと思いますが、言語は少し不安があります。入院初期はやはり言葉が出にくい感じがありました。ただこの段階で病棟から出てラウンジへ行く事が認められたので、急な入院で面接試験に行けない旨を会社に連絡しようと思いましたが、面接の書類に相手先の連絡先の電話番号が書かれていません。(全部0になっていた。)仕方がないのでハローワークへ連絡。ハローワークへ相手先の連絡先を教えて欲しいと連絡しましたが、「伝えて良いか確認します。」との事。こちらも常に電話出来る状況では無い事を伝え、確認後電話をもらう事にしました。とにかく入院中で月曜日に面接にいけない事の連絡をお願いしました。これでとりあえず安心してリハビリに望めると思い、土日は検査もリハビリも無いので言語のリハビリを一人で繰り返しました。それが効いたのか薬が効いたのか、日に日にしゃべり易くなって来た事を感じました。月曜日になりリハビリが再開されましたが、言語、思考力、身体能力ともほぼパーフェクトだった様な気がします。唯一残念なのは、ハローワークから電話が来て面接先の社長さんが「今月は忙しくて面接をする時間が無いのでエントリーを取り下げて欲しい」と言っているとの連絡があったとの事で、取り下げる事にしました。「他にいい人がいた」とか「あなたは向かないと判断した」とか言ってくれた方が良かったのに。まあ、理由はどうあれ面接をすっぽかしたのでそんなヤツはいらないと判断されたのかも?そういう訳で「廃棄物倉庫のおじさんもいいなぁ」と言う計画は無くなりました。緊急性のある病気の入院はいきなり世間と隔離されると言う事を頭の中に入れておく必要がありそうです。そんな事がある中で、リハビリの成績が良かったのか、主治医の先生からもう出来る治療はないので「明日、退院するか?」とのお言葉。二つ返事で「はい!」と返答。退院が決まりました。運転、仕事、スポーツとどれも問題なくしても良いとのお言葉ももらいました。最初に言われた10日から2週間は脳のダメージと体のダメージを確認する期間としてある程度決められている期間なんだろうと思います。やはり脳梗塞の症状があれば直ぐに治療する事が大切なんだとあらためて思いました。もし、あの時「もう少し様子を見よう」と思ったら脳へのダメージも大きくなって麻痺や痺れが残っていたかも知れません。

長くなりましたが、最後に言葉が上手く出ない。手足が痺れる又は力が入らない等、脳梗塞が疑われる症状が出たら、仕事も約束も気にせず直ぐに病院へ行って下さい。迷っている時間が今後の人生を変えてしまいます。

脳梗塞で入院すると。

今回は脳梗塞で入院中の状況を書いてみたいと思います。「このまま入院です」と宣告されたあと、そのまま病棟へ案内されて病室へ。着替えも何も用意していないので妻に着替えを取りに行ってもらいました。これはレンタルする事も出来るのですが、他にも用意するものがあるので家から持ってきてもらう事にしました。本音は病院のパジャマでは本当に病人(病人なんですが‥)みたいでなんかなぁと言う思いもありました。入院直後から点滴を2つ付けられ、トイレに行くにもドラマにある様に点滴ポールを引っ張っての移動になります。感染者数は激減しましたがコロナの心配もあり家族といえども病棟にはほとんど入れません。更に脳外科病棟は入口の扉が施錠されていて看護師さんに言わないと開けてもらえません。病棟を出たところにラウンジがあり、そこまで行けば携帯電話が使えるのですが、入院後、主治医の許可が出るまで「行動規制」が掛かり病棟から出られません。来週の月曜日には面接があり、何とか連絡を取りたかったのですが。翌日から検査が始まりました。心エコーと24時間心電図を取り付けられました。血栓は心臓起因で発生する事も多いので取り合えず検査するそうです。この日の夜に点滴も終わり、飲み薬に替わりました。やっとシャワーを浴びる事が出来る様になります。

ただ主治医の先生が言うには脳梗塞の場合、入院後症状が出て来る場合もあるという事なので変化があったら、直ぐに教えてほしいとの事です。その為の経過観察も兼ねる2週間程度の入院という事なんだろうなぁ。(次回へ続く)

脳梗塞という病気。

今日は私が患った?(あまりにも軽く済んだので患った認識があまりないのですが。)脳梗塞の発病から治療までを少しお話したいと思います。前にも書きましたが、始まりは朝、起きてから何となく言葉が上手く発音出来ていない様な、舌がまわって無い様な感覚です。寒い日によくある口がまわらないとは明らかに違う感覚です。脳卒中で両親を亡くしているので、この病気は人より少し意識はしていました。もう少しひどいと手足に痺れが出る事もある様です。私はいきなり大病院に行こうか、近くの開業医に行こうか悩み開業医に行きました。家の近くに内科・外科・脳外科を開業している医院があったのも幸いです。その医院でCTを撮影し、脳梗塞の疑いがあるので、大病院へ紹介状をもってその日のうちに行ってMRIで精密検査を受けました。このあたりの連携はやはり緊急を要する病気であると言う事でしょう。とは言え見た目は元気なので、MRIは空きが出るまで待ってもらう事になると言われましたが、以外に早く検査してもらう事が出来ました。ひとつ参考(参考になっては困りますが)に言うと脳梗塞の疑いと診断された時点で、どんなに元気でも運転が禁止されます。MRIと血液検査が終わり結果が出るのを待っている間に、「1泊位、検査入院させてくれないかなぁ?」などと思っていましたが、結果は「このまま入院になります。期間は10日から2週間くらいです。」と言う事で入院になりました。5日後に会社の面接があったので「入院途中、外出は出来ませんか?」と聞いてみたのですが、「出来ません。」と瞬殺されました。

そんなこんなで入院となりましたが、私は目立った後遺症もなく、かなり運の良い方だと思います。(脳のどこかが壊れているかも知れませんが、加齢から来るものなのか、病気によるものなのかの判断が出来ません。)本来、脳梗塞は一分一秒を争う病気だそうです。予兆があったらすぐに病院へ行って下さい。自分を守るのは自分です。

ゴルフが出来る喜び。

今日は真のリハビリと言えるゴルフのラウンドです。18ホール回れるか不安はありましたが、体力的には問題無くまわる事が出来ました。ゴルフの腕の方はやはりまだ以前の様な球筋では無く、1割くらい飛距離が低下している様です。でも、これはこれからの体力UPで何とかなりそうな気がします。来年に向け、筋トレとゴルフを基本から見直す課題が出来ました。今回の発病は本当に軽く済んで良かったです。これは「今のまま、好き勝手に食べたいものを食べたいだけ食べてると死ぬよ!」と言うお告げだと捉え、食生活も改善していくつもりです。生活習慣病は自分が気を付ければ予防出来る事ですから。

健康管理と共に小遣い稼ぎも始めなければ。

老いると弱る。

今日もラウンド前最後の練習に行きました。50球打つ体力はかなり戻っている様です。球筋は納得いくものではありませんが、何とか1ラウンドは出来そうなところまで来た様な気がします。ドライバーが飛ばなくなったのは、もちろんですが全てのクラブの距離が落ちている様なので、ヘッドスピードが落ちたと言う事だと思います。発病した事(入院も含めて)による身体の弱りが影響しているのだろうと考えます。あすのラウンドはあくまでもリハビリなので、今後もゴルフを続けられるかの確認と思っています。現状の状態を把握する事は今後の励みにもなります。老いてしまったのではどうしようもない部分がありますが、弱っているだけではトレーニングにより復活が可能なはずです。

現実的なところで、明日はダボペース(108)を目指して頑張ろうと思います。