今年も終わります。

いよいよ今日で今年も終わり、新年が始まります。仕事ももちろんですが2022年はもう一度、身体づくりから始めたいと思っています。身体が資本、健康第一です。脳梗塞は生活習慣病と言えるので、再発する場合も多いと聞きます。再発する場合は前回より確実に重症になる様です。生活習慣の見直しと実践が出来なければ、再発のリスクは避けられません。再就職するにしても隠居生活に専念するにしても健康は大前提です。今年、反省するところは反省し、来年へつなげたいと思います。

来年は何らかの流れを作りたい‥‥。

小さく忘年会。

今日は昔の同僚との飲み会(忘年会?)でした。4人ばかりの小さな飲み会でしたが、数年ぶりに合う同僚もいて大変楽しい時間でした。話を聞くとみんな頑張っている様です。歳も歳なのでそれぞれに責任ある立場を任されている様で、大変だなぁと思います。無職で家からあまり出る事も無い今の生活では、世間の刺激が不足しているので、いい刺激になります。「基本、隠居で小遣い稼ぎ」の精神は変えたくありませんが、やりたい事をやる精神の中に、お金を稼ぐものを真剣に取り入れようと思いました。趣味に時間を使うのも良いと思いますが、お金を生むものであれば更に良い。頑張ってもう少し、自分の出来る事を探して行く事にします。

新年を迎え、良い刺激になりました。

年末感が無い。

仕事納めとなり、家族全員年末年始の連休に入り、年越しの準備?をする感じですが、今年はなぜか年末(年越し)感がありません。ただ寒い日が続いている感じです。去年もそうだったのかも知れませんが、コロナの影響か?あまり出掛ける事がないので、そう感じるのかも知れません。おせち料理も買い出しに行かなくても自宅へ届けてくれる時代だし。季節の催し(行事)は子供中心にまわっているのでしょう。子供に手が掛からなくなったらどんんどん手抜きになって行く様な。知り合いで年末年始は毎年スキー場で年越しという方がいます。楽だとは思いますが、それもなんか違う様な気がしています。私は盆と正月は家にいたいと前から思っていたし、事実そうしています。たとえ行事を派手にやらないとしても家でのんびり出来る幸せを満喫しようと思っています。

そういえば明日、今年最後の忘年会があります。時節がら4名の小さな宴です。元気ですが、病み上がりと言えば病み上がりなので、お酒は少しにしておこう‥‥。

仕事納め。

働いていれば今日が今年の仕事納めなんだろうなぁ。サービス業は別として。帰省して家族の元へ戻れるハッピーな日なんだろう。年中休業の私としてはこれからしばらくは何処へ行っても混んでいる日が続くんだろうなぁ程度で、変われば変わるものです。そうは言っても来年から収入がなくなるので、どこかで働くか、自分で稼ぐ手段を考えるかを迫られる事になります。「基本、隠居で小遣い稼ぎ」の精神は変わっていません。働くにしろ、既に働き盛り(全盛期)は終わったと感じていますので、第一線でバリバリというのではなく、ニッチな感じでゆったり行きたいと思っています。この厳しい時代にそんな就業先はないか。

とにかく、この年末年始はゆっくり作戦を練り、来年は良い流れを作りたいと思っています。

今年も最後の週。

決して早くは無かったですが、無職になり1年が経過しました。気が付けば今年もあと4日。あまり真剣では無かったとは言え、これはと言う職業も見つからず、無職2年目に突入しそうです。雇用(失業)保険も受給期間も終わっているので、来年は真剣に収入を得る手段を考えなければなりません。年末年始はリハビリの延長で休養と日常生活(社会復帰)の確認を続けるとして、健康面では不摂生をし易い期間なので、体重を増やさない様に気を付けて過ごしつつ2022年の戦略をゆっくり考える事にします。

2022年はどんな年になるだろう‥‥。

体重と血圧管理。

退院後、体重管理と血圧の記録を習慣としています。ダイエットはそろそろ始めようと思っていたところで、血圧は主治医から記録する様に言われました。体重はまだ1~2㎏程度しか減っていませんが、食事の量は減ったと思います。若い時の様な極端なダイエットはしない様に心掛けていますが、このあたりで適度な運動を習慣にしなければならないと感じています。リハビリの時に言われたのが、筋トレを30分やるなら15分筋トレをして、15分有酸素運動(エアロバイク等)をした方が良いですよ!との事でした。もちろん病み上がりのリハビリなので控えめの提案だとは思います。本来なら有酸素運動は最低でも20分以上はやりたいところです。体重記録を日課にしているとその日食べた食事の量により、測定時の体重が予測出来る様になって来ました。食事と行動のバランスが取れている状態かも知れません。やはりこれ以上を目指すなら運動でカロリーを消費するしかありません。

散歩から始めて、早歩き、ソフトジョギングって構想はあるのですが、習慣化するのはいつになるやら‥‥。

静かなクリスマス。

昨日、今日はクリスマス期間でしたが、子供達が不在で大変静かな我が家です。子供達にとってクリスマスは家族のイベントから友人同士のイベントに変わっていきました。昨日から泊りで遊びに行っています。老夫婦?だけではたいへん静かなクリスマスです。なんかひとつ肩の荷が降りた様な気がします。子育て期間はツリーを飾ったり、プレゼントを用意したり、それなりにやる事がありましたが、子供に手が掛からなくなると今年はただのしずかな週末という感じです。歳を取るとイベントが少なくなるんでしょうね。ただその分、自分の趣味に時間を掛ける事が出来そうです。お金の掛からない趣味を探したいけど、面白い事にはお金が掛りますよねぇ。

今、やりたい事であまりお金が掛らないのは、筋トレとウォーキング(散歩)くらいかな?。決して趣味ではないけど‥‥。

終活らしきものをそろそろ。

75歳までは生きるつもりでいる。でももしもと言う事がある。人生の終わりは誰にもわからない。突然、逝ってしまう本人はどうしようもないが、辛い(困るも含む)のは周りに残された人達である。私の両親は二人とも脳卒中でこの世を去っている。どちらかと言えばポックリタイプで何の準備も無く、この世を去った。私も介護などで負担を掛ける事無く、寿命=健康寿命でポックリと逝きたいと思っている。「数時間前に寿司を腹いっぱい食べてたのに‥‥。」なんで感じが最高かも知れない。それは運命でどうなるかわからないが、突然、その時が来ても家族に迷惑が掛からない様に最低限の「終活!」らしきものはしておこうと思う。貯金はどうなってるとか、金目のものはどれとか!、家族でもわからない事はけっこうあると思う。以前、ギターが趣味という人が亡くなり、家族がギターを普通に処分しようとしたが、実はビンテージもので大騒ぎになったとか言う話を聞いた事があります。まあ、そんな金目のものは持っていませんのでその面では心配無いのですが、いらないものは沢山あります。今後の生活をコンパクトでシンプルなものにする為にも本腰を入れて整理しなければ。

これらは生きている間に、本人が処分しないとまずいだろうと思います。メルカリで売れるものあるかなぁ?。

生きるという事を考える。

今日は昨日と対象的に生きるという事について考えてみました。振り返ると死というものも生きるという事も若い時はあまり深く考えた事がありませんでした。自然界の動物であれば、生きる為に食べる事と子孫を残す事が目的になると思います。人間も時給自足の生活が出来れば生きて行けるかと言えば、なかなかそうはいきません。それ以外にも色々あるのでお金が必要になります。その為には何らかの方法でお金を手にする事を考えなければなりません。若い労働力は必要とする所も多いと思いますが、定年間近のオヤジの再就職はただでさえ厳しいのですが、家から近くで働きたいと注文をつけると余計厳しくなります。どこで折り合いをつけるかによりますが、それでも生活していくお金を得る手段を見つけなくてはなりません。まあ、今の状況からでは時間が掛かるかも知れませんが、焦らず答えを見つけていく事にします。

予想もしていなかった状態で突然死を迎える事を思えば、この先自分自身がどう展開していくのかは楽しみでもあります。やはり「基本、隠居で小遣い稼ぎ」で行きたいです。

死というものを考える。

昨日の続きになりますが、アイルトン・セナは1994年、イタリア・サンマリノGP(イモラサーキット)のタンブレロというコーナーで命を落としました。セナだけではなく私がレースに興味を持ってから有名選手では、フェラーリのジル・ビルヌーブや国内では高橋徹選手、小川等選手などが惜しくもサーキットで命を落とされています。でも誰一人その時まで自分が死ぬとは思っていないはずです。私も若い時、サーキットを走っていた経験があります。一般の人達からみるとレースは危険と思われるかも知れませんが、サーキットは決められたルールのもと、皆が同じ方向へほぼ同じ速度で自分の持てる全神経を集中して走っています。そういう意味では一般道路を走行している方が危険が多いと今でも思っています。私の元同僚も街中の自転車事故で命を落としています。自分にいつ命の終わりが来るかなんて誰にも分かりません。脳梗塞も軽く済んだので良かったのですが、もしかすると命を落としていたかも知れないと考えると残された人達の為に終活とは言わないまでも、ある程度今の状況を分かり易い様に整理しておく必要があると感じました。事故によるリスクと同じくらい、病気によるリスクも上がっている。もう、そういう歳になって来たという事です。

それでも、私の目標は75歳なので、それまではリスクを下げる努力はするつもりです。